私の戦後60周年の記憶

今日は60回目の終戦記念日。そして大切な父の61歳の誕生日。

Joi Itoさんが“An Anniversary to Forget”(忘れる記念日)という記事をNew York TImesに載せて、話題になっている。「我々の世代にとって、戦争はゲームのように、もうGame Over. 過去よりも我々は未来に生きている」というような内容だ。広島、長崎と聞いても、どうしてもピンと来ないのは、どうやら私だけではないようだ。

もちろん、過去を記憶にとどめおくことは大事だ。今日、知り合いになったドイツ人のジュリアン君が、今年、ベルリンに建てられた「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑」のことを教えてくれた。後で宿に帰って来てテレビをつけたら、NEWS23でも特集を組んでいたけれど、人間の背丈の倍以上もある灰色の石柱が密集して幾十にもそびえ立ち、その間の細い迷路のような道を歩き回れる、かなり大規模な記念碑だった。言葉で歴史の詳細を伝えて行くのではなく、体感して歴史を意識する作りになっている気がした。建設を手がけたディレクターは「過去を記憶にとどめ、現在と未来を生きて行くために作った」と言っていた。

私たちに、第二次世界大戦や日本軍侵略の詳細を知ることが求められているわけではない。というか、なかなか頭に入ってこないし、想像するのが難しいというのが正直なところ。でもどれだけ戦争が恐ろしいものなのかを、記憶にとどめておくこと、感じていることは大切だ。個人的な体験を通して。

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今日、地球市民村でも、平和を願うイベントが行なわれた。ロウソクの灯がともる中、平和を願う歌を歌ったり、女の子二人がポエトリイー・リーディングを披露したり(左の写真)。一人は先進国に住む女の子、一人は発展途上国に住む女の子になりきり、それぞれの願いを読み上げた。一人の子は、「お母さんの手料理よりも、お菓子が食べたい。兄弟といつも一緒なんて嫌だし、一人の部屋が欲しい。」と。そしてもう一人の子は「私には家族がいない。もう3日間もご飯を食べてない。何でもいいから食べるものがほしい。雨風をしのぐ場所がほしい」と。 それぞれの願いが交互に読まれ、たまに声が重なり合う。そして最後に、誰が良いとか誰を批判するわけでもなく、「それぞれの人が幸せに生きて行けますように」という締めくくり。広島や長崎の悲惨さを振り返る、なんていう、ともすれば形骸化してしまうイベントとは違い、シンプルな演出だけど、とてもパワフルで心にグッと来た。

war6002.jpgロウソクのあかりを見ていると、なんだか涙が出そうになった。エモーショナルになることって、すごく大切だと思った。私にとっては、毎年、終戦記念日が父の誕生日。これからも8月15日は、戦争を記憶にとどめていく、パーソナルでスペシャルな日にしようと思う。