原剛さんの「環境ジャーナリズム講座」

今日は、博報堂で「team -6%」などをしかけていらっしゃる「広告会社のホープ」(勝手に呼んでます)のお一人、水口哲さんに誘われて「日本環境ジャーナリストの会」が主催する「環境ジャーナリズム講座」に参加しました。今日は第一回目で、講師は、原 剛(はら・たけし)さん。毎日新聞の記者として務めあげ、環境問題(当時は公害問題)を精力的に取材し続けた「環境ジャーナリスト」の第一人者。退職された後も、早稲田大学大学院アジア太平洋学科で教鞭をとられている、熱意のある非常にエネルギッシュなおじさま。「農の感性」「農の論理」が時代を救うという観点のもと「中国は持続可能な社会か?」という本など、農業に関する本も多数書いていらっしゃいます。

原さんのトーク。朝日新聞の水俣病報道と四日市石油コンビナート公害事件の報道を例にあげながらとても示唆に富んでいて、まとめきれないのですが、いくつかポイントだけ。

ー高度経済成長が加速する日本で社会部の記者をする傍ら、直感的に日本は「ボタンをかけ違えてしまった」と思っていた。
ー「経済成長」が行政や経済社会の思想になっている。国策は今でも経済成長であり、WTOに代表されるような組織が、国際貿易ルールの自由化を押し進めている。それに対抗するのが環境ジャーナリズム。公共財(非競合的、非排他的)が汚染されるのは、市場経済または計画経済による失敗か、政府が統御に失敗しているかによる。二台権力を監視する役割(watch-dog)を環境ジャーナリズムは追って行くべき。
ー「民主主義の自己決定的能力に貢献すること」がジャーナリズムの機能。なのに「センセーショナリズム」「時代主義」が先行している現状がある。
ー”Keep your boots muddy” 常に現場に行き、靴を泥だらけにしておけ。調査報道を徹底することが重要。ジャーナリストの行動の強さや論理性は現場での衝撃から出てくる。
ー数字的な論争に陥らない事。大きなイメージを心に抱いて、それを擁護すること。それが環境ジャーナリストの条件。
ージャーナリズムは客観報道(事実原則・没評論原則)と言われるが、環境ジャーナリズムは、「客観報道を基盤としつつ、何かを擁護すること(アドボカシー)である」
ー記事で自動車公害のことを書きながら、新聞紙面に自動車広告が出ている、という現状。しかしそれは報道の矛盾ではなく、社会が変革していく上でのダイナミズムと捉えれば良いのではないか。変革して行く過渡的な状況であると捉えるべき。
ー日本は「NGO砂漠」と言われたりするが、それは間違っている。NGOというよりも、CBO(Community Based Organization)。地域に根ざしたNGOがたくさんある。会員600万人いるWWFを持つアメリカなんかよりも健全では?
ー環境ジャーナリズムが捉える「環境」の範囲は?自然環境、それから人間環境。文化環境(住んでいる場所の、文化やアイデンテティー)へと縦断していくべき。地域の美意識、伝統を守ることから日本の文化保護が生まれた。非常に重要な取材対象は文化。明らかに行き過ぎた資源消費は問題。Pollution of poverty & Pollution of affluance.

私が生まれる前から、変人扱いされながらも環境問題に興味を持ち、取材し続け書き続けた原さんのお話は、目から鱗、そして背筋がただされる思い。環境問題を世界で始めて認識した1972年のストックホルム会議や、水俣病の衝撃的なスライド… 現場を見て来た方ならではも生々しいお話でした。

さてこの「環境ジャーナリズム講座」。水俣から50年、チェルノブイリから20年という節目の今年、環境ジャーナリズムの原点に帰り、その歴史から学ぼうという目的で企画されました。今日から10月まで毎週水曜日、合計20回@青山の環境パートナーシップにて、そうそうたる講師の方々。ご興味を持たれた方は是非。