NVCに学ぶ、親のあり方(幼少期編)

最近のNVCに関する学びで特に深いのは、「子育て」に関してです。娘が10歳という、いわゆる「お年頃」の年齢に差しかかってきて、子育ても次のフェーズに入り、今まで通りにはいかなくなってきたので興味があるというのが一番大きいのですが、巷のお母さん、お父さんの子育てを垣間見ていて、疑問を感じる、目を塞ぎたくなる、子供たちの未来を考えると、何か貢献できるかもしれない、したい、という思いが大きくなってきている、ということも挙げられます。

だいたい日本語で、「子育て」という言葉自体が、「子供を育てる」ーつまり子供にフォーカスしていてそれはそれでいいのかもしれないけれど、英語では、Parenting。どちらかというと、親、自分たちにフォーカスしている気がする。子供に接する自分たちの態度はどうなんだ、親としてのあり方を見つめよう、常に思いやりある愛溢れる親でいるために考え実践し続けよう、という何か、主導権を手放していない感じがして、自分にもっと焦点が定まる気がします。Child Raisingではなくて、あくまでもParenting。日本語でいい言葉がないので、「親(として)のあり方」と訳すことにします。

親としてのあり方。私がこれをよく考えるようになったのは、コスタリカに引っ越して最初の年でした。日本から飛行機に乗って帰ってくると、時差ぼけがなかなか抜けない娘。昼夜すっかり逆転してしまい、午前1時に起き出しては私を起こし、寝かせてくれない。ただでさえ新天地の生活で様々なストレスがあり、シングルマザーでほかに頼る人もいなかった私は、ヘトヘトに疲れはて、自分の部屋に鍵をかけ泣き叫ぶ娘を無視したり、土下座して寝かしてくれと頼んでみたり、それでも寝ない娘に当たり散らしたり、、、。時差ぼけ解消後も、たまに訪れる突発的なストレスで、娘に八つ当たりしては、あとで「最低なお母さんでごめんね」と泣いて懺悔。自分の感情をコントロールできずに大後悔することも、しばしば。娘も気が強い方なので、ぶつかることも良くあることで、あぁーこのままだと理想としていた親子関係とはほど遠いなぁと思っていたのでした。

そんな時にたまたま出会った、NVC。求めていたわけではないけれど、学び実践していくと、そのコミュニケーション手法や哲学は、親としてのあり方にも大きな大きなヒントをたくさん与えてくれて、子育ての現場で大いに役立つことになりました。今までやってたことは何だったんだろう?!という大反省と驚きとともに、実践してみると、穏やかに子供と接することがしやすくなり、娘との関係も深く強く豊かになってきているのを感じます。自分だけではなく、娘も一緒に実践していくことで、彼女の感情コントロールやその時々の表現方法も格段に上手になってきています。(日本には「感情教育」というものが、ほぼない!世界にだって、あんまりないけれど。特に男子はかわいそう。男は強くあらねば、泣くものじゃないという環境で育てられ、大人になっても感情を吐き出せない、ほぐれない人がなんと多いことか)

親としてのあり方、弱きものの声を心から聴いてよりそってあげるという人間としてのあり方、自分とつながり、まわりにも貢献する選択ができるようになる手助けをするサポーターとしてのあり方。子供と接する一瞬一瞬が、これらを磨きあげるための修行のようなものです。まだまだヨチヨチ歩きで、できない時も多々あるけれど、いつでも実践あるのみ。これから娘もティーンネイジャーに差しかかり難しい時期になってくるからこそ、さらに深く強い絆づくりのため、開かれた心からのコミュニケーションのため、二人でプラクティスしていきたいと思うのです。

ワークショップやオンライン講座などでもシェアし、みんなで実践していきたい意欲と希望があるのですが、以下、NVCの本やワークショップで学んだエッセンスを簡単に書き出します。(常に現在進行形で更新中〜!)

子供を一人の人間として見る!

目の前にいる子供を「一人の人間」として見る。これは当然すぎることだけれど、、、。それが私たちはできているだろうか。ついつい「自分の付属物」「親のほうが優勢で、子供は従うべき、教え込むべき(劣った)存在」「自分の思い通りにさせるべき存在」「良く育てるためには、コレコレが必要だから、コレをしなさい。あなたのためなんだから」といった態度でいないだろうか。

NVCは「選択の自由」や「自主性」というものを大切にする態度を教えてくれます。それは目の前にあるかげがえのない命に常に敬意をもって接するという姿勢を貫くことでもあります。子供は自分の付属物ではない。自分とは切り離された別の人格をもった人間であり、彼らの中でどんなことが起こっているかなんて、全くはかりしれない。全くのミステリー。(シュタイナー教育では、子供のほうが大人よりも魂レベルは格段に崇高)だから決め付けない。一番近しいから、甘えやストレスも出てしまいがちだけれど、「子供の人間性」を徹底的に尊重する。この意識が、親のあり方を形成する全ての土台のような気がします。

つまり「親」とか「子供」といった「ラベル」「役割付け」を取り払う。ほとんどの場合、こちらの思い通りにしようとしていないか?でもそうすればするほど、彼の自主性を奪ってしまい、そして誰でも選択を奪われると感じると、人間はそれが自分が望んでいるものであったとしても!それに抵抗してしまう。心からの愛であっても「こうしなさい」というやり方は(一時的には、それでコトが済んだとしても)、効かない、長続きしない。

 

力関係から、つながりへ

NVCで良く言われるのが、Power OverからPower Within。自分のパワーを課すのではなく、彼らのパワーを引き出すにはどうしたらいいのかを考えるのです。「何々しなさい」という、英語で言うshouldの感情が出てきたら、「この機会に子どもは何を学べるだろう、どう成長できるだろう」という、英語で言うlearningやgrowningの機会と捉えてみます。

だから罰を与えたり、しかったりするのではない。上からのパワーでコントロールしようとしているから。さらに褒めたり、ご褒美をあげたりするのも違う。どちらも「良いこと/悪いこと」「正しいこと/間違っていること」という親や社会としての価値判断、モラル、道徳に関連づけているから。

これは本当に難しく、考え方の大きなシフトが必要なのだけれど、例えば子どもが部屋を片付けない場合。以前だったら「何回も言ってるのに、どうして片付けないの?早く片付けないと、ご飯抜きよ!」あるいは「片付けたら、お菓子食べてもいいわよ」あるいは「(ニュートラルを装い)ママは片付けてほしいなぁ〜」と言う対応をしていたと思う。どちらの戦術も、Power Over。威圧して子どもをなんとかさせようとする企みでしかない。ないしは、お願いに見せつけた強要。

ではどうするか。立ち止まって考えてみる。すると「部屋が汚い」ことでイライラしているのは、自分のこと。親のいうことを聞かない、学習しない悪い子、整理整頓できたらいい子と決めているのも、自分だけ。

もちろん部屋を散らかしておいていい、放っておいていいというわけではない。でもだからといって、自分の思い通りに子どもにさせるのは、違う。とにかく「イライラ」「ウッ!」と思った時こそ、How can I completely accept this moment? この瞬間を完全に受け入れようと決め、ほかの見方を手にいれるよう努力し、子どもとの間の「つながり」を第一に考え、「つながりの質」を高めること。これこそ、忙しい現代社会に生きている親としてのあり方を正す、一番のプラクティスでは。

 

お互いのニーズを大切にしたコミュニケーション

では具体的にはどんなコミュニケーションをとったらいいか?子どもを尊重するからといって、子どものやりたいようにやらせる放任主義という訳でもなく、でも「お母さんは、こうしたほうがいいと思うなぁ〜」と暗にアドバイスをして、そちらのほうに仕向けるのでも、ないのです。

ここで大切になってくるのは、NVCアウェアネスの中でも特に大切な「ニーズ(大切にしたいこと)」の気づき。例えば上記の例の場合、親のニーズは「清潔な住環境」「秩序」「自立(子どもが身の回りのことを自分でできるようになること)」「家族としての協力、協調」といったことかもしれない。でもそれが叶わないからこそ、イライラしてしまう。

一方、子どものニーズは、「遊び(これは子どものニーズの大半を占める)」「認めてもらうこと(自分のものが部屋中のスペースを占めていることで存在をより大きく感じ、認められていると感じる場合もある)」かもしれない。そうやって自分だけの考え方で決めつけがちだけれども、子どものニーズもキャッチする癖を付け始める、と同時に親としての自分のニーズは何なんだろう?と考える習慣をつける。その上で、お互いのニーズを大切にしてコミュニケーションをとり、双方のニーズが叶うように解決策を考えてみる。(ほんと、子どものニーズってあるんだなぁ〜と気づかされて面白いです。目から鱗の体験!)

マーシャルの本に紹介されているほかの例:「叩いちゃダメでしょ!悪い子!」ではなく、「安心や安全が大事だから、叩いたりするとママは怖くなっちゃうな」という風に伝えてみる(伝える時に、子どもに恥や罪悪感を与えないようにすることも、大事)。なるほど、道徳や善悪で切るのではなく、ニュートラルに、あくまでの自分が大切にしているニーズを忠実に伝える。その上で、子どもの別のニーズもあるはずだから、それも理解するよう努める。これがなかなか難しいからこそのプラクティス。

ほんと実践あるのみで、やればやるほど上手になって、まったく別の会話の広場が生まれてくるので不思議。そのために自分の、そして子どもの「ニーズ」というものに敏感になるよう心がける。常にニーズ、ニーズ、ニーズを探す習慣を!

 

よりそい共感を持って、聴く

これはNVCのワークの中でも一番私が好きなもので、とにかく聴くのです。ただただ心から聴く。それだけです!例えば「ママ〜。今日友達と喧嘩しちゃったの」と帰宅した子どもに、たいていは「どうしたの?」と詮索したり、「それは相手の子が悪いね」「気にしない、気にしない」「あなたがそんなことするからよ」「また〜?!」などと解決、介入、気をそらせる、アドバイス、批判や非難をしてしまうのが常。それが親としての習慣。でもその習慣を改め、そうではなくて、ただただ「感情」と「ニーズ」を頼りに、よりそう。「そっかぁー。それは辛かったね。友達と仲良くしたいものね」という風に。

Darling I am here for you. という態度をどんな時も実践する。これは本当に効果的です。子どもは解決策を望んだり、自分の味方になってほしいと思っているわけではないことが多い。ただただ受け止めてほしい、そこにいて、自分と同じ気持ちを味わってほしいと願っているだけ。これは子育てだけでなく、全ての人間関係において当てはまる。

 

子どものためにやってあげていることの「マヤカシ」に気づく

私はこれがすごく強かったなぁーと、ある時、反省しました。つまり、ことあるごとに「コスタリカの大自然の環境の良いところに暮らして、私立のシュタイナー学校に通わせてあげて、こんなにいろいろ旅もさせて、何不自由なくやらせてあげてるのに!」って、感情が出ていたのですが、おいおい。それって自分のニーズに沿ってやっているだけじゃない?と気づいた時のショックといったら、、、。(汗)(去年、カナダのNVCキャンプで学んだ気づきをブログに書いてます

 

子どものためにやってあげてることのほとんどは、それがもちろん子どものためを思って愛情からくるものだとしても、全ては自分の親業を満たすためにやっていることと捉えます。この考え方は、Radical Ownershipと言われ、訳すと「(ニーズを)完全に自分のものとして捉える」ということ。恩着せがましく、しない。心から喜びをもってできることだけをする。効果は期待しない、というさっぱりとしたあっけらかんとした態度でいよう。

自分の許容範囲を考え、指し示す

これは小さな子どもに接する時に効果的だと思いますが、「どこからどこまでの範囲で考えてみようよ」と許容範囲(考える枠組み)を指し示し、あくまでも決めるのは自分自身ということで、自主性を重んじながらも、より良い選択をサポートするというやり方です。

例えば「今日は特別な日だから、寝たくない!」と子どもが言ったとする。そんな時に「ダメ、寝なさい」とか「まぁしょうがないわね、いいわよ」ではなくて、「明日も元気に過ごしてほしいから(親のニーズ)、午後10時ぐらいまでの間で、自分で決めてみて」とサジェスチョンする。子どもの「特別な日だ」ということは受け入れられた気がするし、自分で決められるという喜びもあり、ある範囲内で良い選択ができる癖もつくというわけです。

よく言われるのは、スクリーン・タイムのこと。TV、ゲーム、コンピュータなどの使用時間をどうするか。親が使用している家は、子どもも使いたくならない訳がない。それぞれの家での同意を形成することが大事だけれど、この場合も、膝を突き合わせて、お互いのニーズを出し合い、話し合うこと。あくまでも子どもの自主的なルール設定を重んじること。ただし、中毒性のあることなので、自分自身の使用頻度や方法もふくめて、見直す。私たち自身がロールモデルになることが何よりも大事。

….. まだまだ書ききれないこともたくさんですが、とりあえずここまでのまとめとして記します。私自身、3歩進んで2歩下がるの連続ですが、できなくても自分を責めたり、完璧でないことで落ち込んだりしないことも大切。

そして自分も共感や愛をを受けとめるサポートもこのワークを軽やかに続けていくには必須。だから、これからも同じ意識にいる親の方たちとつながり合って、よりよい「親のあり方」をみんなで実践しいけたらと思うのです。それが愛と思いやり、自己責任、自己受容に満ちた子どもたちを育て、みんながみんなを大切にして輝ける平和な社会につながっていく希望につながると信じて!

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